大西洋上のメリー号


 三千夫《みちお》少年の乗り組んだ海の女王といわれる巨船クイーン・メリー号は、いま大西洋のまっただなかを航行中だった。
 ニューヨークを出たのが七月一日だったから、きょうは三日目の七月三日にあたる。油のようにないだ海面を、いま三十ノットの快速を出して航行している。あと二日たてばフランスのシェルブール港にはいる予定だった。
 ちょうど時刻は昼さがり。食堂もひととおり片づいて、乗客たちは、水着に着かえて船内の大プールにとびこんだり、または船尾の何段にもわかれた広い甲板《かんぱん》の上でテニスをやる者、デッキ・ゴルフをやる者、輪なげをやる者など、それぞれに楽しい遊びにむちゅうであった。
「オイ、日本のボーイ君。ここへきて、点をつけてくれんか」
 などと、そこへ船長をさがしにきた三千夫少年に声をかけるフランスの老富豪などもあった。
「ハイ、すぐまいります」
 三千夫はにこやかにあいさつをして、船客たちの間をかけぬけていった。船長はどこの組にはいってゲームをしていられるのか。
「船長! 船長!」
 三千夫のかわいい声が耳にはいったものと見え、ゴルフ組にいたデブデブふとった船長ストロングが、打ちかけた手をとめて、
「オイ、ボーイ。なんの用だ。大した用事でなかったら、おれがいまお客さまに、とくいのファイン・プレーをやってお目にかけるまで待て」
 三千夫少年は、船長のことばにおかまいなく、まりのようにそばへ飛んでいった。
「船長。いま、事務長から電話がございました。すぐお耳に入れるようにとのいいつけです」
「ああ、そうか」
 事務長からの電話だと聞くと、ストロング船長は、ついに球をうつことをあきらめて、三千夫を手まねきした。そしてひくい声でいった。
「いったい何事か」
 三千夫はふとった船長に腰をかがめてもらい、その耳もとに口を近づけて、なにごとかをボソボソささやいた。船長のくちびるがグッと、への字にまがるのを船客たちは見のがさなかった。なにか一大事らしい。船底から水がもり出したというのではなかろうか。まさか海の女王クイーン・メリー号にそんなことがあってたまるものかと思うが……。
「進路はかえない方がいいだろうといえ」
 船長は三千夫に命じた。
 船客たちは、ハッと顔を見合わせた。
「船長さん。この船はどうかしたんですか」
「事務長はなにを見つけたのですか」
 船客たちは、もうゲームどころではなかった。船長の顔色の中に、なにごとか突発したらしい事件を読もうとした。
 そのとき、ストロング船長は微笑を浮かべていった。
「いや、ただいま、本船の前方十マイルさきの海面に、おびただしいサケの大群がおよいでいることを発見したというんです。どうも非常な数らしいので、本船がそのまま突っきってもいいかどうかと、事務長は聞いてきたんです」
「なんですって、サケの大群ですって。あッはッはッ」
 これを聞いた船客たちはドッと爆笑した。

ふしぎな大漁


 船長は、それほど笑わなかった。
 この大西洋でサケの大群にあうということは、かれの長年の経験にもいまだ一度もないことだったから。
「船長さん。十マイルも遠方におよいでいるサケの頭が見えるとはおどろきました。さすがに海の女王クイーン・メリー号ですね」
 とアーサー卿がいった。
「いや、本船はもっと遠方まで見える装置をもっています。昼間でも夜間でも、器械だけが本船の進路にあたる海面をにらんでいるのです。もしその方向にあたって、木片一つ浮いても、すぐ警報のベルがなるようなしかけになっています。この器械を自動監視鏡といいますが、これがあるおかげで、本船は、人間が見ていなくても船の前方に流氷があればすぐそれとわかりますから、進路をかえて氷山とのしょうとつをさけることができます。それからまた、難破船があって、ただひとりの人間が海面をただよっていても、やはり同じ自動監視鏡がそれを見つけて、警報ベルをならします。サケの大群を発見することなんか、まったくわけのないことです。いずれ、サケの先生がたは、水面からピョンピョンはねあがっているのでしょう」
 船長はいささかとくいげに、メリー号がそなえているすぐれた「人造眼」についてのべたてた。
(これほど安全な汽船は、世界中どこをさがしてもありませんよ)
 と、いいたげであった。
 それからしばらくたつと、甲板上に多勢の船員や水夫たちが出てきて、しきりに海面を見まわしはじめた。
「見えますか」
 船客のひとりがたずねた。
「ええ、あれです。海の色がかわっているのが見えるでしょう。あの黒ずんだ水をごらんなさい。ああ、さかんに波立っています。あの下にサケのむれがおよいでいるのです。すてきな魚群だなァ、――」
 船員は、またのびあがって海面をながめるのであった。
「オイオイ、船尾へ行ってみようよ、船尾じゃあ、あみを持ちだしたよ。サケをとるつもりらしい」
「そうか、それはおもしろい。早く行って見よう」
 船尾では、なるほど大さわぎが始まっていた。二等運転士が指揮をとって、大きな本式の魚あみを用意している。
「いいかァ。用意はいいんだな。じゃ始めるぞ。――魚あみおろせエ」
 ザンブと、大きなあみは船尾から海中に投げこまれた。黒山のように上層の甲板に集まって見物していた船客たちは、一度に手をたたいた。
「見える、見える。サケがおよいでいる」
「どれどれ、どこに……」
 三千夫少年はこの時、やっと仕事をすませて、甲板にとびだした。かれはスルスルとマストの上によじのぼっていった。
 見える、見える。じつにすばらしい魚群だった。巨船クイーン・メリー号も、いまや右舷も左舷もサケの大群にかこまれてしまった。魚の群れは、メリー号と競走しているように、同じ進路をとっておよいでいる。どうして、このようなおびただしいサケ群が大西洋にまよいこんだのだろう。それにしても、おそらく本場のカムチャッカにおいても、こんな大群を見ることはめずらしかろう。
 船尾では水夫のどなる声が聞こえる。
「二等運転士。もう、あみの中がサケでいっぱいですぞォ。このへんであみを引かなきゃ、あみが破れて、せっかくのサケがみなにげてしまいますぜ」
「よォし、あみを引けーッ」
 二等運転士が勇ましく号令した。
(海野十三『海底大陸』より)

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(2014/3/12)

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